後藤新平(1857-1929)は、医者であり、政治家・官僚である。
1923年の東京を中心に壊滅被害を与えた関東大震災が発生し、当時の第2次山本内閣内相兼帝都復興院総裁であった後藤らが中心となって、大震災後の東京復興計画(帝都復興事業)を推進した。
この帝都復興事業における中心的な事業として、①震災復興橋梁、②震災復興小学校、③震災復興公園の3つが挙げられる。
震災前の東京の公共建築物は木造が多く、これら橋・小学校は多くの被害を受けた。そのため橋・小学校を鉄筋コンクリート造で大震災にも耐えられる恒久的な建築物とし、避難地として公園を隣接させた。